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香港の歴史を簡単に振り返る

2019年9月3日

現時点(2019年9月3日)で、もう3ヶ月も続く香港のデモ。

 

もともと発端は中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」の改正案が出されたことに抗議するものです。

 

「同じ中国」なのに、なぜこれほど・・・?

 

香港の歴史をみてみると、ほんの少しその背景が見えてきます。

この記事を読んで少しでも香港に興味を持ってくれる人が増えたらいいなと思いつつ、書いてみたいと思います。

 

香港は中国の一部

2019年現在、香港は中国の一部です。

「香港」とは大阪・東京といった感じと同じく都市名で、正式には 中華人民共和国香港特別行政区といいます。

 

中国本土領域から分離した領域を設置し、主権国家の枠組みの中において一定の自治や国際参加を可能とする「一国二制度」のもとに発展してきました。

 

また、香港は中国の一部ですが、市民は中国本土の人たちとは異なるパスポートを発行されます。

それだけでなく、英国政府が発行するBNO(British National Overseas、英国海外市民)パスポートも持つことができます。

 

そして、通貨も中国元ではなく香港ドルです。

香港ドルの発行元は民間銀行!?

 

特に若い人たちの中で知る人が少なくなったようですが、香港はつい20年ほど前までイギリス領でした。

 

さらには、日本が統治していた時期もあるんです。

香港の統治の歴史

1842年〜1941年:イギリス
1941年〜1945年:日本
1945年〜1997年:イギリス
1997年〜現在   :中国

 

香港が中国に「返還」されたのは、1997年7月。

それまではイギリスが統治していました。

 

第2次世界大戦の間の4年ほど、日本が統治していた時代もありますが、イギリス領だった時代が長いですね。

その理由や背景を少し書きたいと思います。

 

香港は貿易の拠点だった

香港は今でもアジアの一大貿易港で、物流の主要拠点でもあります。

 

「香りの港」と書くくらいなのでイメージがつきやすいと思いますが、もともと漁村だったところに「香木(こうぼく)」が集積されるようになり、香港と呼ばれるようになったとのこと。

 

イギリスが統治していた理由

なぜイギリスが長い間 統治していたのか・・・

 

アヘン戦争って、昔 社会で習った記憶がありますよね。

 

中国が「清」と呼ばれていた時代、イギリスの「東インド会社」が貿易をはじめました。

すでに「アフタヌーンティー」の習慣が根付いていたイギリスは、清から大量の茶葉を輸入してはじめます。

 

ところが、清はイギリスから買うものがないため、イギリスにとって貿易赤字がどんどん膨らんでいきました。

清としてはほぼ自給自足ができていて、わざわざ外国から買わなければならないものがなかったのです。

 

でも、何としても貿易赤字を解消したいイギリスは、インドで手に入る「アヘン」に目をつけ、それを清に売りつけることに成功しました。

 

アヘンは、鎮痛作用,鎮静作用,鎮咳作用がありクスリですが、「麻薬」です。

たちまち、アヘンの麻薬作用、中毒性によって清の人々は身も心もボロボロになっていきました。

 

アヘン戦争勃発

そんな人々を見て、当然 清はアヘンの輸入を禁止します。

ところがイギリスは貿易赤字になっては大変だし実際アヘンは売れるので、密かに輸出していました。(密輸ですね)

 

そんな中、アヘンの取締りをしていた清の役人が、イギリス商人が持っていたアヘンを全て没収し焼き捨ててしまいました。

その事件が起こったのが、1839年です。

 

これにイギリスは激怒。

翌1840年、イギリス艦隊が派遣され、圧倒的戦力のもと勝ってしまいました。

 

そして、1842年に南京条約が締結され、香港はイギリスへ割譲。

香港はイギリスの領土になりました。

 

その後、1856年に勃発の第2次アヘン戦争(アロー戦争)を経て1860年に結ばれた北京条約よって、九龍半島もイギリスに割譲されることになりました。

 

ちなみにですが、今 香港と呼ばれているのは香港島と九龍半島を含みますが、もともとの香港は、香港島のことを言います。

 

観光で訪れることが多いネイザンロードや繁華街、チムサーチョイ(尖沙咀)が香港というイメージが強い人が多いかもしれませんが、あれは九龍半島です。(まぁ、観光する上では「香港」で一括りにしていいと思いますが^^)

 

なお、当時の日本は「イギリスやフランスが日本にも攻め込んでくるぞ!」とこのアロー戦争をネタにして、日米修好通商条約の締結を迫られた背景があります。

 

イギリスの元での発展

香港は中国大陸におけるイギリス資本主義の拠点として、貿易基地として発展。

 

1884年には跑馬地(Happy Valley・ハッピーバレー)に皇家香港賽馬会(Royal Hong Kong Jockey Club・ロイヤル香港ジョッキー・クラブ)の競馬場が建設されてイギリス人の社交場となり、1877年には香港西医書院(香港医科大学)が創立、1910年には総合大学である香港大学に発展していきました。

 

また、経済面では1865年に創設されたイギリス資本の香港上海銀行(HSBC銀行ですね)が、極東最大の銀行に発展し、地域通貨として初期には銀貨が使用され、後の1935年には香港ドルが発券されました。

日本が統治していた理由

先ほど、1941年〜1945年は日本が香港を統治していたと書きましたが、もちろん第2次世界大戦で日本がイギリスから勝ち取った(という表現がいいかわかりませんが・・・)ものです。

 

なお、香港においてイギリスが日本に降伏したのは、水源地を抑えられたため。

 

香港において「水問題」は、1980年代にイギリスが中国に対して今後も香港を植民地支配下におけるよう求めた際も、それを拒否する「切り札」に使われています。

 

当時の中国首席 鄧小平がイギリス・サッチャー首相に対し、「そんなこと言うなら水の供給を止めるぞ!」と言ったらしい・・・

 

香港は淡水の調達が難しく、中国本土から供給されているんですね。

なので、香港の下水(トイレの水など)は今も海水だよ・・・ と聞いたことがありますが、実際はどうなんでしょう?

(だからトイレの故障が多い・・・?)

 

永久割譲ではなかった

香港は、1997年7月、イギリスから中国へ返還されました。

ここで、「アヘン戦争で勝ったイギリスが永久割譲を受けたのでは・・・?」と思った人もいるかもしれません。

 

アヘン戦争終結で交わされた南京条約で中国清朝から香港島はイギリスに割譲されました。

 

そしてアロー戦争(第二次アヘン戦争)が終わった1860年の北京条約によって、九龍半島の南端がイギリスへ割譲。

 

その後、イギリスをはじめとした西欧列強による中国進出の圧力が強まる中、イギリスは清朝に迫り1898年7月1日には九龍以北、深圳河以南の新界地域の租借に成功しました。

 

この地域の租借期限は99年間とされ、これにより香港のイギリスによる統治は1997年6月30日午後12時をもって切れることなっていたんですね。

 

アヘン戦争が起こる前の香港は?

香港という土地は、アヘン戦争以前から存在しています。

実は香港では旧石器時代(紀元前39000年~紀元前35000年)の石刻も何ヶ所かに残っていますし、その後の新石器時代(紀元前4000年~紀元前2000年)の遺跡も、ランタオ島や香港島に残されています。

 

明王朝時代の1552年ごろから「九龍」「香港島」という地名が見られるようになったそうですが、そのちょっと前の1512年ごろにはポルトガル人が香港にやってきて占拠しました。

 

でも、その後ポルトガル人は香港から追い出され、マカオに拠点を移したんです。

 

マカオも香港と同じく中国の一部ですが、1999年12月20日にポルトガルから返還されたもの。

香港と同様に、中華人民共和国マカオ特別行政区 と呼ばれています。

 

香港人の意識としてあるもの

さて、現在 約3ヶ月もの間続いているデモ。

香港の人は、何に抗議をしているのでしょうか。

 

香港人である

香港市民の多くは自分たちのことを「中国人」だとは思っていません。

 

「Are you Chinese ?」と聞かれると、「No!!! I am Hong Kong Chinese.」もしくは「I am Hongkonese!」と答えるひとが多いと言います。

 

自分たちは「中国(大陸)の人間ではない」という点については、香港の人達はものすごくこだわり(プライド)を持っています。

 

香港はイギリス主導で発展・成長してきました。

 

また、1国2制度のもとで中国でありながらある程度自治権があり、また、通貨も元ではなく香港ドル。

しかも、アメリカドルと連動する「ドルペッグ制」を敷いています。

 

何回か訪れていますが自由だし、facebookやtwitterも普通に繋がります。

言論の自由も、中国本土に比べるとかなり保証されています。

 

そんな中で教育を受け、生活してきた人たち、とりわけ自由の重要性を知っている若者はそれらを奪われてしまいかねないことに、抗議・抵抗しているのでしょう。

 

私自身としても、自由な香港が好きですし、自由な香港であり続けて欲しいと思っています。

 

具体的に何かできるわけではありませんが、気持ちとしては香港の若者を応援しています。

 

できることなら暴力や破壊などはしないでほしい。

そして、誰一人として亡くなったり怪我をしたり、逮捕されたりしないでほしいと願っています。

 

できることなら感じて欲しい

日本にいる限り、香港の人が本当に求めていることややっていることは、日本のマスコミを通じてしか入手できません。

僕は香港が好きなのでかなり贔屓目に見てですが、香港の人って優しいんです。

 

例えば、今年4月に香港に行った時に喉を痛め、ちょっと風邪っぽくなりました。

 

昼食を食べに入ったお店でチンゲン菜炒めしか頼まずにいたところ、「どうした?もっと食べないのか?」のようなことを聞かれたので、アプリを使って「喉が痛くて体調がよくない」と伝えたところ、「喉の痛みに効くから飲め」と、とってもまずいお茶(笑)を出してくれました。

 

注意

ただし、旅先で知らない人から出された飲み物をむやみに飲むのはお勧めしません・・・ 僕は飲みましたが^^; 女性だけでなく男性も注意してくださいね!

 

また、電源アダプターを持っていくのを忘れてお店で適当に選んでホテルに帰ったところ形状が合わず、お店に戻って交換できるか訊ねました。

 

コンセントの形状を画像にとってお店の人に見せたところ、「よくわからないから持って行って試していいよ」と、4種類のアダプターを持たせてくれました。

 

「日本に帰るまでに使わなかったやつを返しにきてくれたらいい」と。

 

もちろん、こんな人ばかりではないですが、総じて親切で気さく。

日本人みたいに愛想笑いはしませんが、こっちが言葉に苦労したり困っている様子を見せると、なんとかしようとしてくれる人が多いと感じます。

 

断片的、表面的に入ってくる情報で、「デモは暴徒化して危険」だとか、「政府・体制に抗議して市民生活の邪魔するなんていけないこと」と思わずに、広い視野で「あの人たちが本当に抗議していること、やろうとしていることはなんだろう」って、考えてもらえたらいいなと思います。

 

イギリスが統治していた時代、香港を支配するイギリス人達が「香港人に学が付くと自分たちの地位が危うくなる」と、大した教育を施さなかったそうです。

 

イギリスの統治下にあったのに、当時の香港市民はほとんど英語は話せませんでした。

今でも、年配の人は英語はほとんど通じないことがあります。

 

でも、香港に行ったことがある人はわかると思いますが、素朴な面を持ちながらも商魂たくましい香港人たちは、人情味にも活気も溢れていますよね。

 

今はデモが激しくて中国政府の意向も気になりますから、香港に行くことはお勧めしません。

 

買い物や観光ならなんの問題もない!という人もいますが、本当に慣れた人以外は行かない方がいいと思います。

 

でも、いつか是非、あなた自身の目で見て香港を感じて欲しいと思います。

自分の目で見て心で感じる現実が「香港の真実」です。

 

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